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筋電メディカル徒然日記

2021年09月10日

徒然日記 35
転ばぬ先の杖

新型コロナが流行り出す少し前だった。この2年、3~4回芥川賞・直木賞の授賞式は開催されていないが、まだ開催されていた時のことだ。なんとなく両賞の選考委員の居並ぶ席に行ってみた。ほとんどの選考委員と顔馴染みなので、こんな時だから誰かと話してみようと思ったのだ。私と同い年の北方謙三氏が粋な着物姿で座っている。
 
普通、授賞式が終わると同会場は、受賞パーティに変わる。選考委員たちは、終わったと同時に立ち上がり、知り合いの編集者と話をしだしたり、紹介を受けたりしている。ちょっとの間に広い会場に散ってしまうので、選考委員席の脇に陣取るのがかならず会えて挨拶ができていい場所。それに、長い間私が芥川・直木賞の責任者だったから、終わる寸前に作家を捕まえて文句の言える奴はいない。それを良いことに、毎回その位置を陣取る。ちょっと手を振って元気だよと思ってもらうだけでいいのだ。また、高松に講演に行っていただく交渉をする時もあった。この便利な場所は、帝国ホテル孔雀の間1000人以上のお客様でごった返すこの両賞のイベントで、私が見つけた最高の位置である。
 
北方さんが杖を持っているのに驚いた隙に、銀座の女性たちに北方さんは囲まれてしまった。他の客は、押しのけられないが、銀座の女性たちはみんな私の顔を知っている。するりと女性の腕の下をすり抜けて北方さんの顔の前に出た。
「また~、脅かして!僕が可愛い娘たちと話していると焼き餅焼いて監視にくるんだから~」「いえね、その杖どうしたの?気になってさ~ぁ!」「腰は痛いし、足は痛いし!昔は、よく銀座村の端から端へ一緒に歩いたもんだったね、何軒もクラブに行ったよね、今は、歩けないんだよ」「座業は、腰にきますからねぇ」
そんな立ち話をして、彼を可愛い娘たちの中に開放してあげた。
 
しばらくして、やはり同い年かひとつ下の伊集院静氏が脳溢血で倒れたことが新聞で発表された。私は焦った!伊集院さんもゴルフ仲間に私を入れてくれていた。状況がつかめない。どんな具合なのだろうか?北方さんも伊集院さんも私が勝手に“やんちゃな弟”と思っている大沢在昌氏から繋げてもらった人たちだ!伊集院さんの状況を教えてもらうには彼しかいない。その前に出なきゃもともとと伊集院さんの事務所に電話をしてみたが、やはりコールはするけど誰も出ない。そうだよな、親分の一大事で事務所にいる奴はいないよなと、大沢さんに電話をした。
「僕も詳しいことがわからないので、今、出版社の編集者が病院に探りに行っています。わかり次第電話入れますから」「頼みます」私はそう言って電話を切った。
1時間経っただろうか、大沢在昌氏から電話が戻ってきた「意外と大丈夫だそうですよ、病院に着いて目も開き、話もしたらしいですから」ホッとして電話を切った。
 
同い年が倒れると、自分に状況を重ねて考えてしまう。北方さんも伊集院さんも、しばらくは杖をつくくらいで済むだろう。確かにリハビリは大変だろうが、命に別状がなく、身体に大きな問題がなければ、それでいい!
しかし、彼らに異変が起きるということは?用心しないと。“転ばぬ先の杖”。叔母の遺した杖を倉庫から引っ張り出し私は、練習をし始めている!

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹