TSUREZURE

筋電メディカル徒然日記

2022年05月20日

徒然日記 69
寄る年波

先日、私は小学生から高校まで一緒だった同級生と話す機会があった。話は、いろいろと飛んだが、最後に車の免許証の話になった。ふたりとも今、後期高齢者の仲間入りをしているし、いわゆる健康寿命くらいの歳なのだ。
 
「お前は、いつ免許証を切り替えたんだ?」と、彼が私に訊いた。「僕は、74歳の誕生日の時だったよ。でも、有効期間は3年だけどね」と答えた。
「僕はさ」彼が言う。「僕は、今年の75歳の誕生日が免許の切り替えだったんだ、お前と同じで指定された教習所で講習と実地試験があって、あのゲームみたいな機械で反応検査をされた。ここまでは、お前と同じだった。それから、認知症の検査があった」
「うん、認知症の検査のことは聞いていたけど、僕は次の更新の時だからね」
「そうだろう、75歳以上の更新は認知症テストをしなきゃならない」どんな検査なんだと、私は彼に訊いた。「それがさ、最初に幾つか絵が描かれている紙を見せられて、その後、絵を忘れるくらいの間質問攻めに遭うんだよ、そして、最後に『先ほど見ていただいた絵に何が描いてありましたか』って訊かれるんだ」そんなんで認知症ってわかるのかね。「わからん!でもさ、落ちたら、医者の認知症じゃねぇという証明を持っていかなきゃいけないらしいよ」そうか、それでお前は、どうだった?「ぎりぎりセーフ!」じゃ、ほとんど認知症だな!「家に帰って女房の前に出ると認知症」老人ふたりで笑った。喫茶店などで見られる御馴染みの風景のひとつだ。
 
以来、私は同い年の前後の爺たちを意識するようになってしまった。まず、こんなにも老人、特に爺が多いとは、気がつかないでいたのには驚いた。年配の女性は、外に出ると多く見かける。自分が男だからわからないのか、年齢が皆目見当がつかない。ちょいと失礼かも知れないが、テレビで山奥にひとり住まいしているお婆ちゃんは、絵に描いたようなお婆ちゃんが多いが、ショッピングセンターなどでは着飾っているから、ますます女性の歳などわからない。夫婦ふたりで歩いている姿もよく見かけるようになった。微笑ましいと見つめるのだが、どうも違うようだ。家に爺ひとり置いておけないし、腕を掴んでいないとつんのめって大怪我をする。よって、若いころデートをしただろう恰好になる。爺がエスコートしているんじゃない。爺が、奥さんにぶら下がっているのだ。街で見かけるひとりでいる爺の年齢は、直ぐにわかる。着る物も体つきも私と同じだもの。
 
爺たちと話すと、脳卒中をやっての後遺症の話。糖尿病の話。高血圧は、まだ初等クラスで、膝の関節か、足が痛くて歩けないという話ができなければ、まず話の中に入れてもらえない。杖を持っている。補聴器を付けている。入れ歯をしている。最低この三種の神器が仲間に入れてもらえるパスポートらしい。
 先日、私はインナーマッスルに届くような健康補助器を使ってみた。今までの物では、インナーマッスルに届いた気がしない。どうも健康とは、歳ばかりではなさそうである。パスポートを返上して、俺だけは元気でいなければという気概が一番のようだ!
 

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹