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筋電メディカル徒然日記

2021年12月3日

徒然日記 47
やたい骨

今、私の住むマンションが大修理を行っている。まずは、各部屋のベランダ!何せ高層の建物が2棟ある。1棟は、50階以上、もう1棟が40階以上だ。もう1棟あるが、そちらは、1階に各種の病院が入るモール形式になっているから、他の建物とくらべて背が低い。
住み始めて10年は経つ。白を基調にした建物だから、汚れが目立つ。ベランダは、避難する時に使うための共用施設、職人たちは、部屋には入ってこないものの、なかなか厄介である。50階や40階からゴンドラが上下に行き来している。
大分工事が進んで、外部が美しさを取り戻してきた。ある日、自分の住む階でエレベーターを降りたら、全体が明るく見えた。よく観ると壁紙が全て剥がされ、病院の廊下のようである。剥がれた跡が残り、ゾンビでも出てきそうな悪寒が走る。1500室もあると聞くから、月々に納めている修繕費も他と同じくらいだ。
最近地震が多い、今もこの原稿を書いているとオフィスが揺れた。我が住まいは、色々な地震対策を施しているものの、やはり修理箇所が多いと思う。
 
話は変わる。私の母は病弱であった。彼女の生涯は、27歳から69歳までがんと共だった。withコロナという言葉ができたように、withがんと呼んでもいい!
日曜日の午後、彼女が逝った後、担当医は私に向かって「お母さまは、乳がん、子宮がん、胃がんとやりましたが、がんで亡くなったのではありませんよ」と言った。じゃ、何で?そう言えば、母の入院はがんのためではなかった。家では、母の前でもがんの話を平気でしていたから、てっきりがんでの死と思い込んでいたのだろうか。母は「私は、がんとお友達。それも良い関係のお友達なの」と、言っていたっけ!with GANだったかも知れない。
彼女が入院したのは、バスから降りた時に足の骨を折ったためだった。60代の後半だったから、骨粗しょう症にもなっていて、その病に効くといわれたウエハースをやたらに食べていたことを思い出した。
 
そう言えば、祖母の包子も同様に逝った。包子は、私の祖父で作家の菊池寛の妻である。彼は、東大から京大に移籍し、新聞記者をしながら小説を書いていた。資料が欲しい、しかし、貧乏な家の生れだったから古本でも高価な資料を買えない!現実主義の彼は、郷里高松に手紙を書いた。「どんな女性でもいい、金持ちの家の娘を探してほしい」。
現在、こんなことを男が言ったら、痴漢より厳しいお咎めを食らうだろう。しかし、いたのだ!我儘に育って家族を困らせていたお姫様の包子が!いけない、包子では読めない方が多いだろう。この字で“かねこ”と読む。彼女が90歳の時に転んで足の骨を折った。病院に入ったまま2年、彼女は家に帰れなかった。
 
また話は変わる。父が、病弱な妻のために旧軽井沢の旧街道の山に山小屋を建てた。それが父からの遺品になったが、誰も行かなくなった山小屋の中心の柱が折れて、家ごと森林に戻っていた。使っていなかったのが悪い!人も家も、全てのものは、やたい骨が折れると土に戻ってしまう。いや違う、人は今、やたい骨を壊さないようにできる。寝たきりでも、車椅子でも、杖をつこうと、やたい骨さえ壊れなければ、躰は長持ちしてくれる。京大名誉教授森谷敏夫先生が考案した「筋電メディカルEMS」によって!

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹