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筋電メディカル徒然日記

2022年06月24日

徒然日記 74
100年前に戻って考える!

自分は。極力外出しないようにした。妻も女中も、なるべく外出させないようにした。そして朝夕には過酸化水素水で、ウガイをした。やむを得ない用事で、外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。そして、出る時と帰った時に、丁寧にウガイをした。
それで、自分は万全を期した。が、来客のあるのは、仕方がなかった。風邪がやっと治ったばかりで、まだ咳をしている人の、訪問を受けたときなどは、自分の心持が暗くなった。自分と話していた友人が、話している間に、段々熱が高くなったので、送り返すと、その後から四十度になったと言う報告を受けたときには、二、三日は、気味が悪かった。
毎日の新聞に出る死亡者数の増減によって、自分は一喜一憂した。日ごとに増して行って、3337人まで行くと、それを最高の記録として、僅かばかりではあったが、段々減少し始めたときには、自分はホッとした。が、自重した。二月一杯は、殆ど、外出しなかった。友人はもとより、妻までが、自分の臆病を笑った。自分も少し神経衰弱の恐怖症にかかっていると思った。が、感冒に対する自分の恐怖は、どうにもまぎらすことの出来ない実感だった。 三月に、入ってから、寒さが一日一日と、引いて行くに従って、感冒の脅威も段々衰えて行った。もうマスクを掛けて居る人は殆どなかった。自分はまだマスクをのけなかった。
「病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと言うことは、それは野蛮人の勇気だよ。病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると言う方が、文明人としての勇気だよ。誰も、もうマスクを掛けていないときに、マスクを掛けているのは変なものだよ。が、それは臆病でなくして、文明人としての勇気だと思うよ。」
自分は、こんなことを言って友人に弁解した。また心の中でも、幾分かはそう信じていた。
(菊池寛著『マスク』より抜粋
 
ちょうど一世紀前に流行したスペイン風邪を題材にして祖父が書いたのですが、書いておいてくれたおかげで世界的パンデミックの少しは、理解することが出来ました。
スペイン風邪の流行は、1918年から始まり1920年頃に収束に向かったと言われています。この3年コロナで我々は、不便な生活を強いられました。スペイン風邪から100年も経って、医療も何も、相当な進化を遂げました。が、段々収束に向かって行くのに3年は掛かるのは、変わらないようです。
 
100年前の世界の人口が約18億人だったころ、30%が感染し、4000~5000万人が亡くなりました。日本でも約2300万人が感染し、約38~45万人亡くなられています。コロナでは、世界で4000万人が感染、110万人の死者が出ました。死者が減ったのは、医学の進歩ですね!今、ニュースでは「あなたはマスクを着けるか?否か?」です。祖父が言う、あなたは野蛮人の勇気と文明人の勇気と、どちらを尊重しますか?と、いうことでしょうか!

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹