TSUREZURE

筋電メディカル徒然日記

2022年06月17日

徒然日記 73
雑誌の付録から

6月のNPO法人エビデンスベーストヘルスケア協議会「情報素材料理会」から女性の健康についての講演が続きます。今回のテーマは「今どきの月経トラブル対処法~もうガマンはしない!~」でした。
 
さて、私が入園した幼稚園は、家の近くにあり叔母も通ったという日本女子大付属の幼稚園でした。クラスもさくら組とか花の名前が付いていた記憶があります。女子大の付属でしたから、どのクラスもみんな女の子です。そして、各組にひとりずつ男の子が入ります。確か4組でしたから総勢100名くらいの女の子に交じって4人の男の子が居たわけです。戦後すぐに産まれた子供ですから、団塊の世代の1期前くらいです。子供の数が多くなりつつある年の子供たちですから、園児も増えだした頃でした。
 
私は、あの頃が一番モテた時代です。オママゴトにも付き合いました。着せ替え人形にも付き合いました。上のほうの校庭は平で、桜の木があり、入口には白い木蓮の木があったのを思い出しました。木蓮の花は落ちると花びらの白が茶色になります。汚いなぁ、子供ながらに思いました。
 
幼稚園の敷地は、豊坂という坂に沿ってありましたから、校庭も段差があります。上のほうに校舎、樹木、遊戯器具があり、女の子たちは、そこで遊んでいました。下は、校庭内も下り坂で関東ローム層いわゆる赤土がむき出しです。男だけが暴れられる遊び場。ある大雨の翌日に、私はそこで遊び、半ズボンから下着のパンツまで泥だらけになったのです。たぶん先生が母に連絡したのでしょう。私は、クラスの女の子の前で脱がされ着せ替えられたのです。クラス全ての女の子の目が注がれています。私にとって生まれて初めての『恥を知る時』でした。特に、私はひとりっ子ですから周りに女の子は居ません。
 
後に女の子たちは女子大に進み、私は男子だけの小学校に入りました。あまりにも大きな転換です。当たり前にいた女子がいないのです。その頃から私の心に女性への興味、好奇心が涌いてきました。あの頃は、女性の生理の話はタブーでしたから、先輩や同級生の無知な言葉に乗せられて、増々好奇心が膨らみました。それを解決してくれたのが、平凡や明星という雑誌の毎号の付録でした。「ドクトル・チエコの女性の生理の悩み」女医先生の女性の生理の解説や質疑応答が載っていました。わからない言葉は、辞書で調べました。この付録のおかげで私も女性を多少理解し優しくなれたかと思います。男も知識を得て女性を理解しないと!

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹