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筋電メディカル徒然日記

2022年07月22日

徒然日記 78
文春落語

東京は、山坂が多い!私の実家から目白駅に向かって10分程度ダラダラ坂を上がり、右に雑司ヶ谷鬼子母神の参道がある路を左に曲がると、車道だが急坂がある。護国寺方面から行くと、千登勢橋の少し手前になるが、ここが東京で一番急な坂だと聞いたことがある。
 
昔は、東京でも大雪が積もることがたびたびあった。私は、犬のように飛び回り、この坂で子供の頃、若かりし父が使っていたスキー板を物置から引き出し、その板を使ってこの急坂を滑降して楽しんだ。
 
スキー板は、古めかしくささくれ立った板。ビンディングなんて洒落たモノはなく、靴を差し込む金具に靴を絞める皮ベルトが付いているだけ、ストックは竹の棒に籐を輪にして皮を繋いだモノが付いていたっけ。握る部分にはいっぱしに皮が巻かれ、腕を通す皮ひもが付いていた。重い!今のようなカーボンやFRP素材などがない時代のモノだから、2~3枚板を貼って合成で分厚い板にして、先が反るように作られていた。
 
その東京イチ急な坂は、3、4百メートルはあったと思う。幸いなことに、真っ直ぐの坂だった。戦後すぐの時代だから、その坂でスキーを楽しんでいる人など誰もいなかった!きっと、そこらの住人はどこかのお馬鹿な息子が、危険で煩い遊びをしていて困っていたに違いない。
 
話は、ちょっと逸れるが、先日私が勤務していた出版社の編集イベント部のAさんからメールをもらった。いや驚いた!私が勤めていた頃は、そんな部隊はなかった。単純そのもので、出版や文庫、雑誌の編集部と、カメラマンがいる写真部、校正部、紙を仕入れたり、雑誌に広告を入れたり、中刷りや新聞に宣伝広告をいれたりする部隊、出版社ならではの部隊と、どの会社にもある経理部、総務部、庶務部などに分かれていたくらいだった。Aさんのメールには「来る何月何日何時より、紀尾井ホールにて文藝春秋100年号記念として『菊池寛が落語になった』の作者である春風亭小朝独演会「~菊池寛落語の名作選りすぐり~」をしますので、是非来られますようにと、〆られていた。
 
私が会社で走り廻っていた頃には、紀尾井ホールなどなかった、そういえば一度だけ、音楽を聴きにいったことをあったようだ。Aさんにホールの場所を確認すると、思った通りだった。迎賓館から外堀を渡ってホテル・オータニの本館入口の真向いにホールがある。Aさんのメールには、地下鉄有楽町線で麹町から歩けるが坂が急なので、市ヶ谷でJRに乗り換えて四谷で降りたほうが楽だ、上智大学にそって行けば楽です。と、書いてあった。この辺は、40年も走り回った地である。目をつむってもわかる。しかし、忘れていた!四谷駅からは、遠かった。配られたパンフレットには「文藝春秋創業者・菊池寛の小説が落語化。一日限りの特別公演を開催致します、ご来場記念品付き!」と書かれていた。帰りは、麹町駅から帰ろうと思った。
 
ホールを出た、暑い!急坂を降り、急坂を登る!最後にまた私を脅すような急坂!1年を通して森谷敏夫名誉教授の筋電気刺激のEMSを続けたが、ちょっとサボるつもりが半年近くになった。あのパンパンの筋肉も落ち始めている!急坂オンパレード、何かの祟りかも知れない!

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹