2022年07月29日
徒然日記 79
憎まれっ子世に憚る
彼の手帳の中に入っていたメモに、次のような「祝婚歌」と題した詩が書いてあったと奥様の手紙には書いてあった。通夜の帰りに頂いた白い封筒に入っていた2枚の手紙、1枚目は、奥様からの「永訣の日」。そして2枚目が彼の詩だった。このブログに書かせて頂くことを奥様に許可を頂いたわけではないので、素晴らしい彼を表すに必要な歌詞の部分だけを選んで書かせて頂く。
「2人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい 立派すぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい」(中略)「正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気づいているほうがいい」(中略)「健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい そして なぜ胸が熱くなるのか 黙っていても 2人にはわかるのであってほしい」
全てを書けば涙が出てくる。彼は、私よりひとつ下、同じ会社に勤務し、一緒の部所で共に働いていたことがあった。無類に良い奴、口数が少ない奴、居ることを主張しない奴、他人に対して悪口を云わない奴、いつも微笑みを絶やさない奴、仕事はしっかりする奴、私に安心感を持たせてくれる奴、互いにベタベタした関係を持たないでも友人・親友と言える奴だった。
私の祖父は大正8年2月1日に雑誌「新 潮」に『葬式に行かぬ譯』という題の短編を書いている。もと居た社からひとつ年下の彼の死を知らされた時、私は、この祖父の短編を思い出していた。彼の通夜に行きたくはなかった!永劫の別れを実感したくなかった。読経が終わり、席を立ち、奥様、お子様にご挨拶をする時に、私の口からは「来たくなかったんです!」考えられない失礼な言葉が出て来た。「だから私は、お顔を見ないで帰ります!」とも。
私の同期も2人来ていた。コロナで会えない間に、ひとりは誤嚥性肺炎で生死をさまよったと言った。もうひとりは1年前に癌の手術をしたと言う。この2人も、私より随分と良い奴らで、私は勝手に友人だとしている。