TSUREZURE

筋電メディカル徒然日記

2022年06月10日

徒然日記 72
消えて行く

文藝春秋の総務から田中健吾さんの訃報が届いた。
前から躰に不調をきたしていたらしく、コロナ前のパーティーでちょっと挨拶をしたくらいだった。なんのパーティーだったのか、芥川賞・直木賞の時か、菊池寛賞の時か、忘れてしまった。5月7日肺炎で亡くなったという。93歳だったから、老衰といえるだろう。やはり家族葬で葬儀をしたらしい。「偲ぶ会」は、あらためて連絡すると書いてあった。
 
田中健吾?知らねえなぁ!と思われている方も多いだろう。編集者は、ほとんど名前だけではわからない。昭和49年11月号の『月刊文藝春秋』で「田中角栄研究」に立花隆さんを起用して記事を書かせて、12月9日に内閣を総辞職させた時の編集長である。こう書けば、ああ、あの時テレビによく出ていた編集長かと、思い出される方も多いと思う!
 
少し前に私は田中健吾さんの夢を見た。まだ、元気だった健吾さんがタクシーに乗ろうとしている。後方に私がいる。健吾さんが、私に気がついた。私も何か用事があるのかと思い速足になったが、タクシーはドアを閉めて走り出した。健吾さんは、後ろを見て、私に何か言いたげな顔をしていた。それが、お別れだった。リアルな世界で最後に会った健吾さんは、お歳とたび重なる病でボロボロになっていたから、夢はちょうど30年前の健吾さんの姿だったに違いない。
 
社からの訃報を読んでいる私の姿は、黒ずくめである。黒のTシャツに黒のワイシャツ、黒のネクタイ、黒のパンツ、黒のベストに黒のジャケット、黒のチーフを胸のポケットに入れている。久しぶりに履く黒の革靴。最近は、スニーカーばかりである。
田中健吾さんの訃報は偶然で、準備していたのではない。今日は、1年前に逝ってしまった友人の「偲ぶ会」に出席するために、最近履かなくなった黒い革靴を新調しおろしてまで黒ずくめで来たのだ。
 
大型客船がコロナを運んでスグの頃だった。2020年3月16日である。小学校から高校まで、一部は中学から入って来た仲間はいたが、同窓会を開こうということになった。それまで、5,6年に一度は同窓会をやっていたが、このところ皆の腰が重くなった。ふたりから提案があったので、私は徳光次郎と何人かに連絡をとった。私も含め彼らが長い間同窓会の幹事団を作っていたからだ。名簿もある。馴れもある。徳光の兄さんは、有名なバスで眠る徳光アナで、次郎の息子は、ミッツ・マングローブ、同窓会では、いつも徳光が司会をしていた。8人の幹事団が集まった。「ひとり減り、またひとり、これからは同窓会を頻繁にやらねばねぇ!」開催月まで決めたが、コロナ時代に突入し、実現できていない。
 
16日、彼の顔色が気になった。私には体調が悪く見えた。宝くじやカジノは当たらないが、こんな時は、結構当たる。気になった。私は下戸、飲む連中が集まりタクシーを拾っている。追いついたが、4人乗り込んでいたので諦めた。それでも、徳光の身体が心配で「身体大丈夫かい?」とメールを入れた。23時1分8人の記念写真と共に次郎からメールが返ってきた。「夏樹へ、今夜は楽しい酒宴だったね。また、著名な作家と一緒に食事&カジノをしたロンドン時代を懐かしく思い出しました。写真を送ります」
最後のメールになった。

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹