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筋電メディカル徒然日記

2023年01月20日

徒然日記 104
正月早々

私は、麻雀をやらない。中学三年の時にきっぱりと縁を切ったからだ。家には、象牙と竹で出来た高価な牌が沢山あった。日本で麻雀を流行らせたのは、私の祖父だった。牌があれば当然ゲームの方法を学びたくなる。小学生のころから学友を集めて、ポンだとかチーだとかやっていた。最後にやったのは、高校に上がる直前の春休みだったと思う。みんなで一緒にやめようと決めて、婆さんの持っていた熱海の別荘で2泊3日の完徹麻雀をやった。それ以後、私は牌に触っていない。一緒にやめると決めた仲間は、全て私を裏切った!麻雀は、仲間を裏切るほどに面白い!裏切られても、その奴らを恨んだりしない。面白いんだもの!
 
私は、競馬をやらない。祖父は、50頭以上競馬馬を持っていた。その4分の1くらいの馬名は「トキノ」を付けた。これは、祖父が書いた小説『時の氏神』から付けたような気がする。
 
ある日、喧嘩別れをしようとした夫婦のもとへ、親戚の若妻が荷物を小脇に抱えて訪ねて来る。話を聴けば、夫と喧嘩をして家を飛び出してきたのだと言う。行く当てもないので暫らく置いて欲しいと言うのだ。慌てて自分が家を出ようとして荷物をつくった風呂敷を隠し、若妻を招き入れたが困ったものである。家を出るためには、この若妻を自分の家に戻さねばと、夫婦は一計を案じた。さも仲の良い夫婦を演じて若妻に里心をもたせるのが一番いい。その後家を出ればいいと考え、古夫婦は、日がなベタベタと仲の良い夫婦の演技をした。案の定、若妻は、家に戻って行った。その後、古夫婦も仲良く暮らしたとさ!『時の氏神』はこんな話だったと思う。
 
トキノは、今でいえばラッキーと言ってもいいかも知れない。祖父の馬でトキノハナとトキノチカラは、速かったらしい。確か、トキノチカラは、今でいう天皇賞をとった!祖父が死んだ3カ月後、一頭の馬が生まれた。背中に瘤があった!祖父から馬主を勧められていた永田雅一は、その馬にトキノミノルという名を付けた。短命だったが、三冠馬になった。「幻の名馬」として、今でも目黒にあるJRAの記念館の入口にトキノミノル像が飾られている。
 
私は、ドラムをやる。学生時代友人たち4人でバンドを組んでアルバイトをした。が、当時はドラムの先生がいなかった。見様見真似で叩いた!老いて、趣味を何にしようと考えた時、ゴルフを止め、ドラムにした。先生に教わりながら10年近い!
正月早々、自己練習のために、スタジオに向かった。驚いた!地下鉄を降り、地上に上がるまで3名の人が杖をついている。それも2人は、若者で、男女だ!それも、怪我での杖ではないようだ!昔で言えば、脳卒中に見える。歩き方や手を見ればわかる。気の毒に思うが、男性も女性もまだ40歳前後のように見える!昔と違い、現在は、循環器系や脳の病が多いのは何故だろうか?
私は、ドラムを続ける。もう今年私は、77歳になる。最初は、無趣味じゃヤダな!とか、ボケ防止、健康の為と言っていたが、今は、ドラムのパーツの一部になりたくてやっている。週に2回、3時間ずつ。ある人からの年賀状には「あっぱれ!」と書かれていた。

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹