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筋電メディカル徒然日記

2023年01月27日

徒然日記 105
男の厄年

もう、この歳になると厄年は無いに等しい。
男の本厄年は、42歳が最後だったと記憶している。人間の寿命がこんなに延びるなんて考えられない時代のたぶん四柱推命学から伝わってきているのか、仏教の何か法典にでもあるのか、はたまた別のことに由来しているのか、調べたこともないが、厄年は、何か気にかかるものがある。
 
もう30数年も前の話になる。私の本厄の時に、一番可愛がっていた従妹が亡くなった。彼女の通夜の晩、私にオッパイを飲ませてくれた彼女の母であり、私の叔母が斎場で「今晩は、一緒についててやって」と言うので「うん」と答えた。
その直後、私が勤めていた出版社の写真週刊誌の編集をしている同期から電話があった。「尾上辰之助が今日亡くなったと言う知らせが入った。君は、彼と仲が良かったよね!藤間家に行くんだろ?その前に社の通用口で俺を呼び出してくれないか」
 
小学生時代からの友人で、その頃には一週間に2度くらい藤間の家に夜中立ち寄って何時間も喋っていた親友辰之助である。確か、1~2カ月くらい前に電話があり社から歩いて5分くらいの藤間の家にいつものように訪ねた時、呼び鈴を押して出てきたのは彼のマネージャーだった。「ごめんなさい!亨がお呼びしておいて、今ベッドの上で腹が痛いと転げまわっているんです」「いや、知らなくてゴメン!大丈夫かい?ボクは改めて来るから、治ったらまた電話くれと伝えて、な」その後、会えないままに彼は逝ってしまった。
十二代目市川團十郎となった新之助、七代目尾上菊五郎となった菊之助、そして亡くなってから二代目尾上松緑を継いだ辰之助、三之助時代を華やかに通り過ぎていったが、生きているうちに私は松緑を継いでもらいたかった。極端に言えば、それが原因で彼は、42歳で早逝したと思っている。
 
社の通用口で小さなカメラを渡された。出る時、叔母は哀しそうだったが「仕事じゃしょうがないねぇ」「直ぐに戻るよ」後ろ髪を引かれた。カメラをズボンのポケットに忍ばせて、藤間の家に入った。知った名人上手の歌舞伎役者が伏せている亨の周りを囲んでいる。どの兄さんか頭の中が真っ白になっている私の背を押して「亨の顔を見てやってくれ!」と言う。たぶん、菊五郎兄さんだったと思う。白い布を誰かがめくり私は手を合わせた。菊五郎さんだったか團十郎さんだったか、私の名を呼び「ポケットにカメラが入っているな、君なら撮ってもいいぞ」と言う。私は「撮れません、撮りません!」と答えた。
 

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹